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さざ波便り・崎村常雄君No430号

さざ波便り      No 430号 平成31年05月1日 田ご作
                     〒859-3711 長崎県波佐見町田ご作


 西南戦争での熊本協同隊!自由民権運動家 崎村常雄


 西南戦争の意味がよく分からず、今日まで私は生きて来ました。これまで巷間

に流布されているのは西郷隆盛を盟主に仰ぎ、薩摩藩不平士族の反乱というのが

大概の見方であります。私もそのように見ていましたが、どうも納得することが

できずモヤモヤしています。その戦に加勢したのが熊本藩士族ら、約2500人

から3000人であります。その他、大分の中津隊や宮崎県の佐土原隊などが、

はせ参じています。その薩摩藩本隊に戦の大義名分がないものだから、加勢の地

方隊もその戦の名文を持つことができず、ただ大久保政権憎しで戦に挑んでいま

す。熊本の諸隊も名分なき戦に、自ら入り込んでいます。それでも熊本植木の協

同隊は薩軍本隊が川尻に本営を置いたので、協同隊参謀の宮崎八郎がこの戦の名

分と戦略を、桐野と篠原に尋ねています。その時、猛将の桐野と篠原の答えはそ

んなものあるものか、今は熊本城を抜くだけが戦だという。ここで八郎は戦を止

めることも考えましたが、協同隊として参戦する概念を自ら創り出しています。

そして茲で分かるのは薩摩藩の猛将桐野らが如何に、人間としての学びをしてい

なかったかを見ることができます。


 熊本協同隊が西南戦争に参戦する概念は、明治8年開校した植木学校開設の賜

ものであります。その学校開設と運営の中心人物は、広田尚・宮崎八郎・堀善三

郎・崎村常雄・平川唯一らであります。全員20代後半から30歳代前半の人で

あります。その教科書は、ルソーの民約論が植木学校の聖典であり、万国公法・

日本外史・18史略等々でありました。この学校の学びは協同隊が西南戦争に、

参戦する概念と大義名分を見事なものに仕上げていました。それは大久保政権憎

しは戦を起こす手段であり、その大義名分は「民百姓が豊な生活ができる世を創

る」であります。それは明治政府が出来た時、民百姓は解放され豊かな生活がで

きると思っていたのに、その期待を裏切られました。それ民百姓の世を創る為、

植木学校を開設したのです。そのときの聖典が、ルソーの民約論でありました。

これは中江兆民が翻訳したのを宮崎八郎か崎村が東京で、買い入れて読んだので

ありましょう。それを広田に伝えますと、彼はそのような理念の持ち主でしたか

ら早速学校開設になったようです。その学校主幹に、平川唯一を選んでいます。

このように人間学を学びながら学校運営を続けていますから、西南戦争に加勢す

る大義名分は民百姓が主になる想いが頭に浮かぶのです。この理念をリーダーや

学生が持っていた為、見事な降伏文を崎村常雄が残しています。又、八郎は民約

論を泣いて読んだ漢詩を残しています。


 西南戦争で熊本協同隊が薩軍本体と談合したのは、明治10年2月21日午後

11時です。この時から約半年間薩軍と協同隊は、負け戦を続けるのです。そし

て薩軍本隊が宮崎県の山中へ追い込まれているとき、西郷隆盛が勝算のない戦を

続けるのは忍びないという通達を、諸隊に出しました。それを聞いた熊本協同隊

員は、400余名いたのが50名あまりになっていました。途中離脱して、脱走

する隊員もいました。そこで残った隊員は最後まで西郷軍と一緒に戦うという人

と、ゲリラになって戦うという人がいました。茲で病身を推して隊長になった崎

村常雄が、見事な降伏文と隊員説得の文章を残しています。崎村常雄は言う「自

殺は不可、闘死も不可、潜伏論もまた不可なりとして、陣上虜の意義を説明し、

武器はこれを官軍に納めて縛につき法廷に所信を陳述すべき」と、説明していま

す。この後に崎村は次の如く「西洋では虜になるのを恥とせぬとある」を云々し

ています。

 更に「僕ら今般官兵に抗するゆえんのものは、大義を信ずるところあり然り、

而して終に今日の極に至り、食竭き矢尽く、もとより刀槍のあるのをもって、一

戦は快とすべしといえども、ここにいたって互いに無益の死傷、僕は心になすを

忍びず。願あくば従容陣上の虜に就き、ひとたび僕らの素懐を述べ、しかも後に

斧鉞を受けん。貴官らこれを諒とせよ」と結んでいます。陳述書に、武器目録、

隊員名簿、会計表、戦記と協同隊の名をもって官軍出張所長官宛に提出していま

す。 時に、明治10年8月17日。

 

 

全国とう天会! No 015号  平成31年05月1  田ご作

                      〒859-3711   長崎 波佐見町田ご作村

 

 西南戦争での熊本協同隊!自由民権運動家 崎村常雄!

 

 崎村常雄は初め植木学校にあって、戦に与するのを拒否しています。それ

は身体が病弱であった為と、薩摩の西郷と桐野の尻馬に乗って戦をするのは

まっぴら御免と云々していました。それで最初の編成隊名簿に、彼の名前は

記載されていません。それがどうして、隊長になったかであります。協同隊

の隊長は平川惟一であります。平川は最初山鹿で、戦を始めています。隊長

だから陣頭指揮を執っていた時、官軍の銃弾にあたり即死であります。そこ

で協同隊の有馬源内と高田露は病床の崎村を訪ねて、隊長をお願いしますが

中々諒としない。それでも2人は引き下がらず、隊長をおねがいする。そし

たら戦略を云々したり指揮したりする隊長は嫌だから、隊長と呼ぶのをやめ

てほしいとの条件で引き受けました。それで戦場に行くにも、戸板に乗せら

れてゆく有様でした。それで5ヶ月間よく戦いの指揮を、執っています。そ

して8月16日から17日にかけて、見事な降伏文を記しています。彼は病

身もさることながら、幕末京都にあって西郷と桐野ら薩摩藩の傍若無人な振

る舞いを見届けています。それが嫌で薩軍の西郷と桐野の尻馬に乗るのは、

嫌だと云々しています。そして崎村は、この戦は初めから勝算がないのを見

通していました。それは大義名分がない事もありますが、不平士族の反乱と

みていましたし、非常に冷徹な目を持っていました。時代が変遷していくの

を、自ら知っていました。この時、彼は31歳であります。その後、獄につ

ながれて明治11年5月に獄中死しています。惜しい人を亡くしました。

 

 それ仲間からの綽名は、張子房でした。張子房とは、中国前漢初期の政治

家&軍略家であります。漢の劉邦をよく補佐し、漢帝国を作っています。時

の軍略家は韓信&肅何と共に3傑であったと、云々しています。それ程に崎

村常雄は、頭脳明晰な優秀な人間でした。現在の玉名郡滑石出身で、肥後藩

100石取りの武士でありました。士族でありながら、自由民権運動家でも

ありました。

 

 それで西南戦争に参戦するための概念をハッキリ持っていたのは、熊本協

隊以外ありません。現在の政治や会社設立に、概念と理念は必須でありま

す。今大義名分なき政治が混乱するのは、当たり前です。今から140年〜

150年前、明治の若者たちは概念と理念をハッキリもって行動していまし

た。私は30歳前後、何を思考し行動していたか考えると、恥ずかしながら

世の若者達と同じように遊び惚けていました。これでは日本国が可笑しくな

るのは、当然です。熊本協同隊の若者達は、自由民権運動を志向しながら大

活躍しています。先の太平洋戦争惨敗後、世は平和になって70年以上過ぎ

ると人間は可笑しくなると気づきました。それで私は今77歳になって漸く

人間の在り方に気づきました。これは相当な知恵遅れと手遅れであります。

あと余命幾ばくもないので、宮崎滔天や熊本植木学校の自由民権の生き方を

少しく、学びたく思っています。

 

 私のじいさんである近太郎は、明治22年生まれで、西南戦争のことを次

のように話してくれました。先の田原坂の「いくさ」が、波佐見であったら

大変な事になったといいました。そして太平洋戦争の事は、何も話してくれ

ませんでした。あの西南戦争に参戦しないで、宮崎八郎に次のことを質問し

た松山守善と云う仲間がいました。彼は、八郎に問う「君は西郷・西郷とよ

く言うが彼の本質は帝国武断主義であり、我々の主義理想とはあい容れぬで

はないか」と。八郎は然り今西郷に与して、政府を倒す以外にないという。

それで西郷に政府を倒させた後、彼と主義の戦をするのだという。これに松

山はついていけず、協同隊から離れていきます。ここに松山守善の限界があ

ります。彼はこのように抜け目なく、昭和20年まで生きています。松山の

近くに太平洋戦争復員後、植木町長を務めた植木学さんは、明治38年生ま

れだから松山守善と面会したと思います。彼から何もよか話を聞くことが出

来ず「田原坂戦記」に、彼のことを一言も残していません。

 

※4月に面白かったブログアドレス。

http://tago39.jugem.jp/?day=20190417

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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