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西南戦争山鹿口の戦い!


※西南戦争⇒山鹿口の戦い!

※山鹿市鍋田で熊本協同隊隊長の平川惟一が官軍の銃弾を受け戦死した場所!

 

※西南の役⇒山鹿口の戦い!

 

※西南戦争の田原坂の戦いは、日本中の人々が良く知っています。しかし、山鹿

の鍋田地区での大激戦があったのをあまり知りません。それはテレビや本などで

紹介しているのは、田原坂の戦いがいつも脚光を浴びているからです。田原坂の

戦いと同じくらいの激戦が、山鹿市鍋田地区であっています。私も山鹿での戦い

があったのを知っていましたが、その壮絶な戦があったのは知りませんでした。

今回、熊本植木学校を調べている内に山鹿での戦は相当な大激戦であったのを、

初めて知りました。それ4/14波佐見の田ご作3人組で、小雨降る中を探索し

ました。その近くに山鹿市立博物館がありますので、そこがよく説明して案内書

を下さいました。しかし雨降りだったので、車の中で写真を撮りました。次回は

よか日和の時、ジックリと見学しようと思っています。私が西南戦争に、興味を

持ち始めたのは他でもない。それは西南戦争に参加した熊本協同隊の動きが見事

であったし、その隊の運営と行動が現在にも通じる理論をもって、戦をしている

からです。それは何かというと、協同隊を率いるリーダーの5人とそのサブリー

ダー達の思想が見事に、同じ方向であったのです。その経典は植木学校での教

に使った、ルソーの民約論でありました。この教科書を源に、協同隊の運営と

践がありました。大将や補佐を決めるのに、隊員一同の選挙で決めています。更

に山鹿に駐屯している時も、熊本藩が江戸時代に行っていた戸長制度の手永制を

打ち破って、人民に依る組織を作り出しています。それを短期間でも、運営して

います。江戸時代の因習を一機に打ち破り、自由民権思想で人民を解放して生き

る方法を、樹立していました。このような現実がが幕府倒壊後、10年で出来て

います。この思想は、現在でも堂々と通じます。このような思想の本、実践を若

者らが命懸けで行っています。私が非常に興味をもっている因は、茲にあるので

す。そのことを彼らに教えたのが横井小楠であり、荒尾市野原八幡宮宮司の月田

蒙斎でありました。彼は又、熊本藩校の教授でもありました。幕末徳川が倒れた

勢いでこのような教授が2〜3人、日本国内で生まれ出ていました。

 

※植木学校跡地のモニュメント!

植木学校

※遺跡はこれだけしかなくなりました。後ろのほうは現代的なマンションです。

 

※植木人民共立小学校と記してあります。

植木学校

植木人民が最高によかですね。これが明治6年ですから如何に早いかです。

 

※植木学校の解説書也!

植木学校

※この江戸時代の手永制とは(現在の村役場)のような機能をもった所です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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