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さざ波便りNo420号滔天君

さざ波便り   No 420号  平成30年7月1日 田ご作

                 〒859-3711  長崎県波佐見町井石郷田ご作村

 有明沿岸は宝の山!No1

 

 去る6月10日熊本県荒尾市で、第1回全国とう天会を開催しました。参加者

は、総勢22名であります。イベントに沢山の人が集まるのは、大成功です。そ

の会の成功は、参加者が一人でもOKであります。それ会を開いたことが成功で

あります。さて宮崎滔天君は明治24年ごろ、中国革命を支援することを思いつ

きます。支那革命を支援すると云々しても、初めから資金難に遭遇します。それ

は分かり切ったことでした。そこで2兄の弥蔵君と、どうやってお金を集めるか

を謀議します。宮崎家は荒尾村の郷士でありましたから、膨大な土地を所有して

いました。田畑50町歩といいますのは、50万屬任后9喩村全部を、所有し

ていたのです。それを4兄弟のドラ息子たちが、食いつぶしてしまいました。故

に滔天君は、貧困生活となりました。ついでに嫁さんと3人の子供たちは、どん

底生活を強いられ長男の龍介君は、12歳ごろ恨みぶしを綴っています。

 

 彼は、資金難になろうと仲間が離れていこうと一切の愚痴を言わず、中国革命

戦士の孫文と黄興らの革命支援をやり続けます。そのあたりの思想は、見事であ

ります。滔天が孫文らを支援するのは、彼の崇高な想いから発していますので止

まらない。彼がそのような想いになったのは、亡き父親、政賢思想の影響を受け

ています。長蔵は江戸時代にあって村人たちに、慈悲をもって接しています。制

度上庄屋&村長の務めは、細川藩へ年貢米を納めなければならない。その余得米

を村人の撫育に、充てています。正しく人間的人間であります。又、長兄八郎も

父の想いを受け継いで熊本協同体を組織し、西南戦争に参戦します。その時の大

義名分は、一視同仁で民百姓の世を作ることであります。その実践思想は、父長

蔵の人間教育と中江兆民が翻訳した、ルソーの社会契約論が源であります。この

本はフランス革命のバイブルです。八郎は知識欲旺盛な人で、感度抜群でありま

した。更に時代を見る目は、確かであります。しかし革命を起こすのに、資金と

戦闘員が要ります。その辺りが少々欠落していました。そして八郎は事を起こす

のに、急ぎ過ぎました。それ八代口で政府軍の銃弾に、斃れました。時に27歳

の若さであります。20代の若者だから、やもう得ない所もありました。

 

 滔天君はこのような長兄八郎の影響を受けながら、明治前期を生きてまいりま

す。あとに残された3兄弟は、父親長蔵が言う官の飯は食うなの遺言に則り、事

を起こさなければなりません。それで滔天君は、小学校のころ習字の時間になる

と自由民権と書いていました。その度に校長先生からこっぴどく怒られていまし

た。13歳ごろになって熊本城下にある中学校へ進みますが、どうしても学窓と

なじみ出来ずその中学を飛び出します。そして徳富蘇峰が主宰する大江塾に入り

ます。そこでも学窓仲間とうまくやることができず、飛び出します。それで15

〜6歳ごろ、かぁ〜ちゃんにお金をせびって東京へ単身出ていきます。東京では

熊本県人の下宿に転がり込みますが、仲間と群れることができず飛び出します。

そして一人悶々として生きていましたら、キリスト教の讃美歌のオルガンの音に

ひかれて、教会をのぞいてみます。そこでようやく、彼の思想の安息を確認する

ことができて、キリスト教を学ぶことになります。その内2兄の弥蔵と落ち合っ

て、彼をキリスト教へ入信させます。その後、急いで帰郷し荒尾村で一人で生き

いる母親のサキさんまで、キリスト教に入信させています。

 

 17歳〜19歳ころになると、長崎の英語塾へ通います。明治20年〜22年

ごろになります。その英語塾へ通っていると、西洋乞食のアブラハム・イサクに

出会います。これが又とんでもない虚無党というか、現世利益に批判的な人であ

ました。この人の話に滔天君はすっかり魅了され、長崎にたむろしていた西南

争崩れの寄り合い仲間に紹介しました。これは良い奴を見つけたということで

本県天水村に案内し、子供たちに英語を教える事にします。その場所は、現在

玉名郡天水村小天であります。そこの郷士で庄屋は前田案山子といって、大地主

であります。宮崎家の10倍の田畑を所有していました。その前田家は熊本城下

まで他人の土地を踏まずとも行けたといいます。その豪邸にイサクを連れていき

逗留させ、子供たちに英語を教えます。→とう天会へ続く!

 

 

全国とう天会! No005号  平成30年7月1日 田ご作

                〒859-3711 長崎県東彼杵郡波佐見町田ご作村

 有明沿岸は宝の山!No2

 

 ※イサクはあまりにも身体が汚れて衛生的によくないので、村の子供たちがだ

んだんと寄り付かなくなりました。そうしている裡に官憲が来て、イサクをアメ

リカへ強制送還することになりました。茲に副産物として、滔天君と前田案山子

の2女槌さんが恋仲となりました。この時、滔天君は18歳で槌さんは17歳で

ありました。その中を取り持ったのが、イサクであります。

 滔天君は槌さんが大好きになり夜這いまでやって、槌さんの部屋に忍び込むあ

りさまでした。滔天は、槌さんをお嫁に貰うことまで話します。その後、滔天君

はこれでよいのだろうかと不安になり立ち止まって考え、あれだけ好きだった槌

さんを振ることにします。それでも槌さんは、滔天が何かをヤル人だと感じてい

ますから絶対に離れず、泣いてすがります。それで滔天君は勝手に36計を決め

こんで、逃げだすことにします。そして自宅にあった金目になる仏像など持ち出

て、質屋に運び金を作ってハワイへ渡航する為に長崎へ行きます。長崎で船待

している所へ2兄の弥蔵から外国行きは、チョット待ての知らせが届きます。

軈て弥蔵がやってきまして、安宿の2階で話し込みます。

 

※そこで弥蔵が思い切って話すことは、中国革命を2人でやろうという。とんで

もない野望と、大方針でありました。彼ら2人が危険な共和制を標榜しているの

は、言うまでもありません。弥蔵の言いたいことの結論は【「言論畢竟世に効無

し・願わくば共に一生を賭して支那内地に侵入し、思想を百世紀にし心を支那人

として、英雄を収攬し以て継天立極の基を定めん」・・・「思うに遍く人権を回

復して、宇宙に新紀元を建立する方策こそ以外に、求む可からず」そして中国革

命に成功すれば、アジア諸国の植民地が解放されるという。滔天はこれを弥蔵か

ら聞いて「一切の疑問が解けて、舞い上がって踊りだした」】と、云々していま

す。この理念を読んだ私は、壮大なことをよく考えたと拍手を送ります。21〜

24歳の若者2人がよくぞ茲まで、高度な概念を作り上げたものです。私は手も

足も出ません。

 

※茲に大方針と理念が確立しました。これから中国行きの資金作りを始めます。

滔天は暹羅(タイ国)へ人材派遣の仕事で、行くことにします。弥蔵は中国商人

の商社で、番頭として働きます。2人とも資金作りどころか弥蔵は、虚弱体質の

ゆえ病気で亡くなります。それで滔天は理論的支柱を亡くし、一時期呆然とした

日々を過ごします。そこへ熊本の友人が犬養毅(昭和初期の内閣総理大臣)木翁

を紹介します。茲から滔天君は元気を取り戻し、外務省から裏金をもらって中国

探索に出かけます。

 

※時代は明治27年〜28年の日清戦争が勝利に終わり、大日本帝国は中国清政

府の動きをキャッチしたくなりました。それに便乗し滔天はチャッカリと自ら、

革命運動の仲間も探し出します。その頃、中国革命で少しばかり知られるように

った、孫文の存在を知ります。それ孫文がイギリスから米国回りで、日本に来

ているとの情報を得ます。明治30年の初秋に横浜で、孫文と面会します。初め

ての出会いですが一発で、胸襟を開き話し込むことができました。それで孫文の

思想や中国革命に挑む実践論を拝聴し、犬養毅に紹介することにします。犬養は

孫文と面会し、これは良い人物を連れてきたと、滔天を褒めあげます。滔天君は

そこで、面目躍如たるところがありました。

 

※明治33年になって孫文が蜂起した、恵州事件が起こります。その時、布引丸

に武器を載せ中国の孫文のところへ送り届けようとします。台風のために東シナ

海で、沈没します。そして残金は、それを仲介した中村弥六が着服し金がなくな

りました。それを知らない孫文から、お金を送れと電報が届きますが滔天は送る

ことができず、ただ茫然としていました。このようにして、孫文の恵州蜂起は大

失敗に終わりました。それでも孫文と滔天の友情は、壊れることがありませんで

した。この友情はオミゴトであります。

 

※最後に、有明沿岸は石炭とノリだけでなくこれから永遠と続く、宮崎滔天君の

文章と慈悲のある実践録が後世の人々にエネルギーを与え続けます。オシマイ!

 

※6月の面白いブログを紹介します。

http://tago39.jugem.jp/?day=20180611

http://tago39.jugem.jp/?day=20180606

 

※第1回全国とう天会!

上小路公民館

※熊本県荒尾市上小路公民館において、参加者の皆様方! H30-6-10

前田家

※玉名郡天水町小天村 前田案山子宅別邸 夏目漱石が此処で「草枕」を執筆。

大概おりこうさんばかりです。宮崎滔天をよくよく学んだ人々です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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