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さざ波便り怨恨の倒幕No418号

さざ波便り   No418号 平成30年5月1日 田ご作

                 〒859-3711    波佐見町井石郷  田ご作村

 怨恨の倒幕運動!

 

 幕末維新に活躍した人々を推考すると、面白い見方が出来るようになります。

更に、その人々が活躍した軌跡を追ってみると、観えなかったものが見えるよう

になります。幕末に倒幕運動が激しかった藩は、薩摩と長州であります。その藩

士や藩主が倒幕に動いた背景は普遍性のある戦の概念でなく、怨恨の倒幕運動で

ありました。それは徳川家康が自らを征夷大将軍に信任した時、いみじくも今後

幕府を倒すのは西の方からと、云々しています。その根拠は関ケ原の戦いで、ハ

ッキリ観る事ができます。薩摩藩は東軍及び西軍のどちらにも加担したくなく、

静観していました。最後は家康の本陣をめがけて強行突破をやり、三重県沖から

船で薩摩へ帰還しています。芸州広島藩は初めから西軍に加担して破れたので、

芸州120万石から長州30万石に、減封されています。本来なら改易でお取り

つぶしでありますがそこに、家康の思惑が働いています。関ヶ原の戦い後、家康

はお家の安泰を図っています。それから150年後、薩摩藩に木曽川河川敷の治

水工事を請け負わせています。これが倒幕運動の発火点になります。それは薩長

藩に怨恨を残しました。

 

 芸州毛利藩は関ヶ原の合戦で、西軍の副将でありました。家康は関ヶ原の合戦

後、芸州を改易せず減封にしました。それお取りつぶしの改易しなかた為、子孫

らが267年後倒幕運動の急先鋒を担っています。その長州の怨恨が現在まで生

き残り、民百姓の国民が疲弊しています。一方薩摩藩は、怨恨を受け継ぐよう鹿

児島鶴丸城登り口に木曽川治水工事で犠牲となった、藩士を祀っています。それ

は河川敷工事で自害した総奉行の平田靭負以下、83名を無くしています。その

自害した人々の名前をキチンと記し、イヤが上でもあの徳川幕府がと、思うえ

るようにしています。それ幕末の戦で薩摩藩士らが萎えてくると、100年前の

木曽川で亡くなった藩士らを思い起こせと叱咤激励し、倒幕に立ち向かって行か

せています。このように怨恨で立ち上がる倒幕運動はいけないことだと、上藩士

らは承知していました。それは他藩志らを糾合する概念にならないから、公に言

えない。それで昔も今も未来にあっても事を興すには、理念がどうしても要りま

す。それを江戸時代のお殿様は、大義と言っていました。藩士が遠方へ使いして

上申したら、藩主は「大義で在った」と言う場面を、映画などでよく見ます。そ

れは理にかなった概念を、理解した言葉で有りました。

 

 幕末の志士らが倒幕を考え付いた大きな要因は、1840年清国で勃発したア

ヘン戦争と1853年ペリーの来航です。この2つは徳川幕府を倒すのに、最高

の主因となりました。それで徳川幕府は鎖国を解かず、各藩を小さくしているの

で、外国が攻めてきても防戦できないと言う。それで以って行きがかり上の名分

を、見つけ出しています。それは徳川政権を倒すための名分となりました。この

大義を以って各藩を糾合すれば、徳川政権を斃せると薩長藩士らは考えました。

その概念は日本が一つになり外国と戦うと言うのですから、彼らはその概念を納

得できました。その時代の西洋先進国は、資本主義経済を大きくするのに帝国主

義と化し、戦争を起こして領土を拡大し自国を繁栄させる時代で有りました。そ

れは正しく、弱肉強食の時代です。それで幕末の志士たちは自ら戦争を企てるこ

とで、自藩を強国にしようと考えました。個人的には戊辰戦争で、自らの立身出

世を目論む人が居ました。そのような人々のエネルギーを結集し、明治維新が成

立したのです。

 

 その弱肉強食の帝国主義の在り方は、どうみても可笑しいと気づく碩学がいま

した。それは、熊本の横井小楠であります。もう一人は、土佐藩の坂本龍馬であ

ります。そして幕府側で幕藩体制がダメダと思った人は、勝海舟であります。故

に徳川幕府を倒し、次の政体の概念を創っている人は横井小楠と、海舟が云々し

ています。討幕派は次の政体をどのようにするかの概念を、確立していませんで

した。最後になりますが怨念の倒幕では思想的に限界がありまして、普遍的思想

になり得ませんから人の世になじみません。そして明治になってから、学者のよ

うな中江兆民が普遍的な政体を考察していました。次の「とう天会」に、自発的

倒幕倒幕運動をやり遂げた人々を上げてみます。→とう天会へ続く。

 

 

全国とう天会!    No003号 平成30年5月1日田ご作

                                〒859-3711    波佐見町田ご作村

 自発的・倒幕運動!

 

 自発的倒幕運動を起こした人物を生誕順別に列挙しますと、次のようになりま

す。(震醴⊃叩↓∪鏡酥郎、松本奎堂、す焼新平、ズ篷槊暁賄でありま

す。生まれ年は大概1830年前後であります。江藤は40才で亡くなり、他は

スベテ30歳前半で亡くなっています。この人々に共通しているのは、優秀な頭

脳の持ち主であったことです。皆昌平坂学問所の主席並であります。そして倒幕

を自ら進んで行う概念を、打ち立てています。更に他と与することを積極的にや

らず、自ら進んでオレがやるといい全員脱藩してから、事を進めています。列挙

した5人全員を個人的に私は、大好きであります。それで今回は、平野國臣を最

初に記します。

 今から20年以上前になりますが江藤新平を追っかけて居た頃、江藤のことを

詳しく記した本に出合いました。それ毛利敏彦著の「江藤新平」中公新書です。

又、國臣君についての詳細は「平野國臣伝」春山育次郎著、平凡社昭和4年発行

であります。その毛利敏彦著の中に、江藤新平の先生であった佐賀藩の碩学枝吉

神陽が居りました。その神陽に面会に来たのが、平野國臣です。それで神陽先生

は、江藤を平野國臣に紹介しています。そして江藤は密かに脱藩し、2人で上京

することを決めます。それ江藤は1862年(文久2年)6月27日脱藩して福

岡を通過する時、國臣君と落ち合って一緒に上京することになっていました。福

岡で國臣君を探してもどこにもいない。更に、下関の白石家まで行ってみたが出

会うことはなかった。それで福岡へ舞い戻りましたが、國臣君を見つける事が出

来ませんでした。その時、國臣君は桝木屋の牢獄に繋がれていました。

 私が國臣君を好きになったのは、國臣君がすべての人間は平等であると歌い、

人間尊重の思想を持っていたことです。その思想をもって彼は一人で、倒幕に立

ち上がったのです。その第一に『幕府の滅亡・天下を一にする』と、記します。

この思いを基本にして、倒幕に走り回ります。彼は幼少の頃から優れた頭脳をも

って、記憶力抜群で有りました。そして11歳ころに鉄砲大頭の所へ小坊主とし

て奉公に上がります。18歳になって福岡藩へ仕官します。國臣君は仕官すると

太宰府天満宮の営繕係となり、台風で壊れたところを直しに参ります。彼は幼

の頃から勉学に励んでいましたし、仕官してから猛勉強をしています。

 それから10年後、彼は福岡藩を辞職して「対策草稿」の論文をまとめ上げま

す。その中に「身分差別の撤廃」と「生活を正し政治を正す」の項があります。

今から162年前の安政3年(1856年)の事であります。同じ言で江藤新平

も「政治を正し生活を正す」と言っています。それから國臣君の思想は「安民」

であります。新平君は同じような「安堵」を歌っています。2人は思想が一致し

て倒幕をやろうとなりました。この安眠と安堵は、普遍的な思想で有りまして現

在にも通用します。話は飛びまして、現在のアベ政権は政治を正さなくて歪めて

まっています。故に、庶民生活が苦しくなっています。その結果、日本国内の

政治が大混乱を引き起こしています。それアベ総理と官僚が平気でウソをつくよ

うじゃ、国家の体を為していません。この大混乱を外国から見れば、可笑しな日

本国だと外国人は笑っています。

 話を戻し國臣君は、自発的な倒幕であります。故に、彼は考え方がブレない普

遍的な思想を堅持し、実践しています。そして國臣君は久留米藩士で神官の真木

和泉守と意思統一が取れず、別々の行動を起こしています。これは多分思想が一

致できなかったので有りましょう。それで真木和泉守は禁門の変で敗退し、仲間

と共に切腹自害しています。國臣君は同じ8月、六角獄舎で斬首されています。

嗚呼・・・

※辞世の歌

〇『憂国十年  東走西駆

  成敗在天  魂隗帰地

※鹿児島伊集院の小高い丘にて!

 〇我胸の燃ゆる思いにくらふれは

         烟りはうすし桜島山

 

※四月の面白ブログのアドレス。

http://tago39.jugem.jp/?day=20180410

※お知らせ!

〇6月10日(日)熊本県荒尾市荒尾上小路公民館において、全国とう天会を

催します。参加ご希望の方は、メールにて返信ください。

k.fukazawa@toukihouse.co.jp 

 

※詳細

期 日 平成30610日(日曜日)

時 間 午前11時から午後5時ごろまで

場所 々喩市荒尾949-1宮崎兄弟資料館に11時頃集合し資料館の

    見学代金=210

昼 食 宮崎兄弟資料館界隈のレストランで、各人が自由に昼食ス。

場所◆々喩市荒尾967-1上小路公民館で午後1時〜3時・談合会。

場所 玉名市天水町小天にある前田案山子宅を見学。430分頃

    流れ自由解散。

会 費 参加者のみ¥1000=通信費など!

 

※会場,悗蓮JR九州荒尾駅から1kmぐらいで徒歩15分。

※駐車場は宮崎兄弟資料館前にあり。近くに民有地のPもあります。

※午後3時ごろ談合会が終わって、小天村へ行きます。小天村は山田

    案山子さんのお家で、滔天君嫁さんのツチさんの実家。

 

※申し込み先と問い合わせ先=長崎県波佐見町井石郷2089番地

FAX=0956-85-5701連絡=携帯=090-8910-7478

 電話=0956-85-4665 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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